真理関係

幸福の科学の教え 5

余計なことかもしれませんが、イエスが言葉で復活した1986年以降、正確には1989年までだと言っていいと思いますが、有名な最後の言葉、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(マタイ27-46)」の解釈についてイエス自身が、当時の本当の言葉を語っていました。

マタイでは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と記載されており、マルコ15-34では「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」とあり、これは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」とあります。

随分と女々しい言葉ですが、4福音書の成立年代を見れば、その謎が解けるわけですが後年、徐々にこの言葉の意味が変わってくるのです。

ルカ23-46では、この「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と変わります。

ヨハネ19-30では、これが「すべてが終った」、すべては成し遂げられたに変わるのです。

ギリシャ語では「テテレスタイ」ですね。

マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四福音書では、イエスの最後の言葉が三種類ある。

一体、どれが正しいのかというと、三つとも間違いだそうです。

本当は預言者エリヤと7大天使の一人であるラファエルを呼んでいたそうです。

イエスは、善川三郎の質問に答えて、私は最後、こう叫んだのだと言っていました。

エリヤ、エリヤ、ラッファエロ! エリヤ、エリヤ、ラッファエロ、サバイタア!!

エリヤよ、ラファエルよ、私は今死ぬときが来た、地上を去る時がきた、迎えにきなさい、という意味だそうです。

こう叫んで果てたわけですね。

新約聖書では、ラファエルという天使は出てこなかったはずですけどね。

イエスの叫んだ最後の叫びである「エリヤ、エリヤ、ラッファエロ! エリヤ、エリヤ、ラッファエロ、サバイタア!!」が、聖書では「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」として残っている。

幸福の科学では、このアラム語の裏どりと言いますか、検証をしていなかったと思いますが、本人がそういったと言っているのですから、そう言ったのでしょう。

エリヤ、エリヤ、ラッファエロ! エリヤ、エリヤ、ラッファエロ、サバイタア!!

とうとう裁いちゃいましたか、ついに自分の教えを破ってしまいましたか。

サバイタア!!

裁きたくないけど、「サバイタア!!

俺は、裁いたあ!!

やっぱり「サバイタア!!

さ、裁いたあ!!

ちょっとしつこいですかね、失礼。

イエス・キリストが、キリスト教の修正したい欠点を6点あげていましたが、1点目は、輪廻転生の法則を説かなかった点が1点目です。

輪廻転生を説かなかったために後世酷い恐怖を生んでしまった。

この点は、バチカンも理解しており、後世天国と地獄の中間に煉獄界という世界を設定し、ワンクッション置いています。

さすがにいきなり永遠の業火に焼かれるのもね。

そこは、まぁ、許してやれよ、人として。

2点目は、天国と地獄の構造論的な説明不足を上げていました。

キリスト教の教義では、あの世が十分説かれていないために、いわゆる霊天上界や地獄界のことが、よく分からないのですね。

簡単な地獄論しか説かれていない。

イエスが3点目に上げていたのは、悟りの方法論の欠如です。

キリスト教最大の戒めは、言うまでもなく、

心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ(マタイ22-37)

であり、二つ目が「汝の隣人を愛せよ」です。

そしてこの二つに律法全体と預言者とがかかっている。

神を愛し、人を愛するという教えが、キリスト教最大の教えなのです。

特に第1の戒めである「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」は、元々が申命記6-5からイエスが引用したものです。

この点に関し、神を愛し、人を愛するのは本義ではあるが、愛を旨とし、それを悟らんとする時、必ずしも愛を説き得たとは思わないと言っていました。

心と悟りの段階に応じて神に近づいていくわけですが、そうした段階論的な教えを説いていない。

仏教では不完全ですが、声聞・縁覚・菩薩・仏という4聖が説かれ、悟りの段階論が説かれていますが、キリスト教ではその平等観から説かれていないのです。

2点目の天国と地獄の構造論的な教えが説かれておりませんので、この悟りの段階論を説けなかった。

あらゆるものには段階と度合がある : エマソン

愛を旨としても、神に向かう悟りの各段階があるのです。

これを幸福の科学では愛の発展段階説として説いていますね。

愛の本質は「与えること」であり、愛による苦しみは、与えられることを望む点からきている。

世の愛に苦しむ人々よ、どうしてあなたは人を愛することによって苦しむのですか?

与えられることを望んでいるから、人を愛することによって苦しむのです、と仏陀も言っていましたね。

愛の本質は「与えること」です、と。

そしてこの愛には神に向かう時、各段階がある、と。

人を単に愛する、真心と優しさを実践する幽界・霊界の愛があり、高度な知識を集積して人を生かせる「生かす愛」の段階がある。

幸福の科学で言えば、6次元神界ですね。

当サイトで言えば7次元神界です。

例えば盲腸で苦しんでいる人を真心と優しさだけで救えますか?

神界の愛は、人を生かす段階の愛であり、盲腸の位置や手術の仕方、人体の構造や仕組み、あるいは輸血の仕方等、専門知識がなければ、その盲腸の人を救えない。

救いたいと思っていても救えないのです。

神界の霊人は、従って真理の知識を習得している専門家がいる霊域です。

学者でも経営者でも芸術家でもその道の専門を極めた人達がいる世界であり、人を指導できる段階と悟りをもった霊人がこの6次元神界にいます。

その上に許す愛の段階である菩薩の愛があり、この菩薩の段階に至って初めて神の心を心とすることができるようになる。

神の心を自己の心の物差しにしなければ、決して世界は良くならないことを、自己の固有の人生を通して悟っている人達がいる霊域です。

その上に如来界があり、これを幸福の科学では「存在の愛」と言っていました。

ここは生命に神の法が存在しているだけで愛になっている事実、多次元世界が存在しているだけで愛になっている事実、大宇宙が何かを喋るわけでも、指図をするわけでもないけれども、大宇宙がそこにただ存在しているだけで愛になっている事実、そして神が存在しているだけで愛になっている事実を神の法として説きます。

そしてこの上に救世主の愛があり、これは大川さんにしか説けません。

こういった神に近づいていく上で愛と悟りの各段階があるわけですが、キリスト教ではこの悟りの段階論が説かれていないのです。

当サイトでは「自を生かし、他を生かし、全てを生かせ」がこれに相当しますが、これは霊天上界の悟りの段階です。

自を生かす」段階の悟りが、霊天上界では7次元神界に相当し、「他を生かす」悟りの段階が、8次元菩薩界に相当します。

そして人類の生命の本質、すなわち人類全体を生かしている神の心を説ける「全てを生かす」悟りの段階の愛がある。

これはあの世では、9次元如来界に相当します。

その上に人霊としては最高度に進化した神霊がおられる10次元宇宙界がある。

ここの神霊の悟りは、まだ人格神としての個性を残しておりますが、要は幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界の各段階のすべての悟りを含んでおり、ゼウス神は「我は全次元存在なり」と言っておられました。

そして宇宙界の上になりますと、これは11次元惑星意識となり、幸福の科学では月意識・地球意識・大日意識の3体しか存在せず、惑星意識が人として肉体をもって霊的な修行をすることはない、と説かれています。

人として肉体をもち、修行する神霊の最高霊域は、この10次元宇宙界の神霊までである、と。

だからこの宇宙界の神霊を、俗に大救世主という。

イエス自身は、地球人ならば、まずこの大日意識を神と思っていれば間違いないと言っていました。

11次元惑星意識の上には、更に太陽系を司っている12次元の神霊がおり、更にその上には銀河を司っている13次元の神霊がいる。

アモン・ラーは、如来ですが、あの世から見ても、この銀河意識だけで、既に私には神のように思えると言っていました。

要は多次元世界は、悟りの段階ですから、愛の発展段階説と言わなくても、真理の発展段階説と言った方が適切です。

何も悟りに段階があるのは愛だけではないからです。

正義にも叡智にも悟りの各段階があります。

キリスト教では、愛を旨とした時のこの悟りの段階論が説かれていないのです。

これが3つ目の欠点と言っていました。

幸福の科学では、愛の発展段階説でこの悟りにも各段階があると明確に説いています。

小学生は、いきなり高校生にはなれず、中学生もいきなり大学生にはなれない。

各段階の悟りを十分クリアしていくことによって、一歩一歩神に近づいていくことができる。

80年で人生が終わり、無となる人生観の本質は肉体観です。

肉体という物質を自分であり、人間だと思っているから80年で人生は終わると勝手にそう思っている。

肉体を自分だと思っているから、肉体を保存維持するのは、正義じゃない、愛じゃない、真理じゃない、水と食料です。

肉体という物質を自分だと思っているからその水と食料を管理している金を追う。

そして自然界を荒らし、気候変動まで引き起こす。

全ては肉体という物質を自分だと思っている偶像崇拝が原因です。

神の心を拝むことを信仰と言い、神の体(物質)を拝むことを偶像崇拝というのです。

肉体人生の人生観ではなく、人間は生命であり、霊であり、永遠の生命を生きているという永遠の人生観からこの悟りの各段階をクリアしていかなければならない。

そうして人類と世界は、それ自体が神に向かって進化していく。

悟りによる霊的な向上と進化、これが幸福の科学の掲げる全人類幸福化運動の本質と言っていいでしょう。

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