真理関係

幸福の科学の教え 3

幸福の科学では、「あの世とこの世を貫く幸福」を説きます。

この教えは、幸福の科学と他の宗教団体とを画然と分ける教えであり、今後全宗教・全哲学・全思想は、すべてこの教えに集約されていきます。

すべての多様な神の法は、この教えに流れ込んでいくのです。

仏陀が初期述べていた、今後、私の説く法は、あらゆる諸宗教諸宗派、諸思想諸学問、そして諸民族をも乗り越えていく法となるでしょう、と預言していたのは、この教えを理解すれば分かります。

大川さんは、この仏陀の有り難い教えを、利益にすり替えて説いてしまっていますが、仏陀に言わされておったということでしょう。

この点、あの世の仏陀意識の認識と地上の大川さんの認識との間に径庭があったと捉えざるを得ない。

これは他の諸神霊との関係でも見え隠れしています。

あの世とこの世を貫く幸福」という教えは、すべてのすべてをあらわしている法であると言っても過言ではありません。

この点、さすがに仏陀だなという感想を持っています。

当サイトで言えば、天地一体の悟りがこれに相当します。

あの世の「天」とこの世の「地」が貫かれた天地一体の悟りです。

あの世の仏陀も、この意味で説かれていたはずです。

現在の幸福の科学では、この天地一体の法と意味で「あの世とこの世を貫く幸福」と説いているわけではない。

キリスト教への反論から説いたのでしょうが、これは初期、あの世で高橋信次氏が言っていました。

キリスト教徒というのは、もう俺たちゃ、みんな磔さぁ、火あぶりさぁ、串刺しさぁ、逆さまさぁ、みんな槍で突かれて死ぬのさぁ。

・・ほんと逆さまになっちゃって、ペテロとか。

みんな逆さまさぁ。

この世では不幸、あの世では幸福

まことに有り難い「天の父」の御言葉です、合唱。

これを聞いて、幸福の科学では、これはいかん、これはいかん、と。

キリスト教徒みたいにこの世では不幸、あの世では幸福、こういったあの世とこの世が切られたものであってはいけない。

あの世とこの世を貫く幸福を説かなければいけない、と。

この世でも成功者となり、富も地位も持ち、幸福、そしてそのままの状態であの世に帰天して幸福となる「あの世とこの世を貫く幸福」を説かなければならない、と。

そして成功自慢、富の自慢、地位名誉や利益を最上位に置く生き方となり、道を逸れる。

現在の幸福の科学でも、この「あの世とこの世を貫く幸福」は、こういった意味で説かれています。

しかしてそれは恐らく仏陀の意図ではない。

利益とは、むしろ天地を切るものであり、それを最上位に置けば、宇宙の構造と仕組みから離れてくる。

宇宙は神の表現体であり、神の神殿です。

眼前の大宇宙は、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

生命が「天」であり、物質が「地」で、永遠に天地一体です。

正義が「天」であり、利益と国益は相対的なものですから、「地」で、永遠に天地一体です。

あの世とこの世を貫く幸福」の教えを間違って捉えますと、この宇宙の構造とは逆になって、宇宙と分離してくる。

宇宙、すなわち神と分離してくれば、諸神霊からの啓示も受けられなくなる。

富を最上位に置くのは間違い。

利益は、永遠に「地」です。

これを「天」に置けば、偶像崇拝となって、神への傲慢となる。

富と快楽を「天」に置けば、神と分かれてくるのです。

相対的な価値だからです。

物質や富は、それを目的として「天」に置くことはできないけれども、しかして否定してもいけない。

物質や富、快楽や利益、自我や国益は、すべて目的と否定の両極端の中道に入るのが至当。

これを「天」に置いても、否定しても、仏国土はできない。

生命が統一であり、物質が矛盾です。

しかして統一即矛盾、生命即物質であり、現実そのままが真理です。

統一と矛盾は、統一即矛盾で一実在の両方面 : 西田幾多郎

この西田哲学の実在論は、従来の宗教家や哲学者が決して悟れなかった仏国土・ユートピアの創造原理なのです。

この西田哲学の理念を理解していない者は、いかなる人間であれ、仏国土を造ることはできない。

その者は、神の国を造ることができない。

富や地位、学歴や国益、自我や快楽、これらはすべての相対的なものであり、永遠に「地」です。

相対的なものを絶対化することを神への傲慢と言いますが、この神への傲慢は、物質を「天」に置いているため別名、偶像崇拝とも言われ、中東では厳しく禁止されてきました。

この偶像崇拝は、パンドラの箱を開いているのと同じであり、すべての悪の源なのです。

過去・現在・未来のすべての悪は、この偶像崇拝から出ています。

だから中東の神は、これを厳しく禁止してきたのです。

現代でも国益や富、自我や快楽を「天」に置いて偶像崇拝に耽り、全世界を腐敗させているはずです。

相対的なものを「天」置いて旨としている限り、あの世とこの世は貫かれない。

むしろあの世とこの世は切られていく。

その神の体、この物質の意味する相対性から社会における矛盾と対立はあらわれ、その矛盾と対立からすべての悪が現象化している。

相対的なものを絶対化していくのは、信仰が欠如しているからであり、もし神なくばすべての存在は、パンドラの箱から逃れることができなくなる。

無神論と神への信仰の欠如を、パンドラの箱を開くという。

神の存在がなく、信仰なくば、我々には相対的なものしかなくなり、その相対性から無限の腐敗が現象化してきて、救いはどこにもなくなる。

そして神の心とは、富ではなく、正義であり、愛であり、叡智であり、秩序であり、正しき心です。

富は天地を切るが、正しき心は天地を一体化させる。

だから初期、幸福の科学では、正しき心の探究を掲げていた。

正しき心でなければ、あの世の「天」とこの世の「地」は、決して貫かれることはないからです。

富や利益は、あの世に持って帰ることはできず、また元々あの世に富はない。

あの世に持って帰れない富を「天」に置けば、あの世に持って帰れないわけですから当然、あの世とこの世は分離してくる。

もって帰れないからです。

地上に置き去りにされるもの、これが富です。

ちなみに肉体も同様。

あの世に肉体はもって帰れないのです。

だから肉体観は、天地分離観ですから誤り。

天地一体が善。

天地分離が悪。

仏陀が正しき心の探究を初期掲げていた限り、あの世とこの世を貫く幸福とは、正しき心の探究による天地一体の悟りを説かれたとみていい。

富ではない。

だから初期、大川さんも言っていました。

正しき心の探究・学習・伝道、この順序の通りやるのです。

あなたねぇ、と、幸福の科学で支部長になって伝道する、伝道すると言いますけれども、あなた一体何を伝道するの。

自分が何も知らないのに何を伝道するの。

そうではなく、まず正しき心を探求しなさい、次に学習しなさい、探求し、学習して、自分が知っているから、だからその知っている内容を人に伝道できるのですよ。

何も知らない人が、何を伝道するの。

正しき心の探究・学習・伝道、この順序を間違えてはいけない。

そう言っていました。

そして正しき心のみが、あの世とこの世を貫く幸福を実現していく。

幸福とはイコール神の心そのものですから、元々あの世とこの世を貫いている心です。

単純にあの世とこの世を貫いている価値が善、貫いていない価値が悪と言ってもいい。

従って正しき心の探究とは、あの世とこの世を貫いている価値の探究です。

これを真理の探究というのです。

真理とその悟りは、あの世にもって帰れるものであり、またこの地上界を唯一浄化する心なのです。

これ以外のものは、この地上界を浄化しないのです。

幸福の科学は、初期これを探求していたわけです。

従って「あの世とこの世を貫く幸福」とは、正しき心の探究・学習・悟り・実践、これに始まって、これに尽きる。

悟りとは、真正の自己を知る、これに始まって、これに尽きる : 西田幾多郎

正しき心以外のものは、あの世とこの世を貫くことはない。

あの世とこの世を貫く幸福」とは、正しき心の悟りあるのみ。

多くの歴史上の偉人や天才は、すべて例外なくこの「あの世とこの世を貫く幸福」を説いてきたのです。

今後の未来に出てくる偉人・天才も、すべてこの「あの世とこの世を貫く幸福」を説くのです。

今までも説いてきたのです。

キリスト教では、愛を説きます。

愛とは、真心と優しさです。

仮に生涯、この真心と優しさを実践できれば、例外なく地獄に堕ちることはない。

つまり不幸になることはない。

その心は、生きながら、あの世の「天」にそのまま通じている。

その真心と優しさは、「あの世とこの世を貫く幸福」です。

仏教では反省を説きます。

仮に生涯、悪や罪を犯した時、反省できていれば、ただの一人も地獄に堕ちることはない。

つまり不幸になることはない。

その反省は、「あの世とこの世を貫く幸福」です。

哲学や思想真理なるものは、すべてはここに行きつく。

秩序や叡智も同じ。

世に、単に考えることができる者は多いであろうが、正しく考えることのできる者は少ない。

正しく考えることのできる諸神霊をマリン・ブルーの霊系団と言う。

正しく考えることのできない者達は、正しい結論に到達することができず、到達できないがゆえにその知力で世界の腐敗を止めることはできず、むしろ世界を腐敗させる蛇の知恵を一層身につけ、霊的な進化も向上もなくしていく。

目の前の世界を見よ。

それがあらわれている。

叡智の霊系団とは、その正しく考える知力によって正しい結論に到達し、正しい結論に到達しているがゆえに、世界を正しく導くことができる。

その知力によって自己も世界も飛躍的に進化させることができる。

そして叡智を代表している者達は、みなその知力を通して「あの世とこの世を貫く幸福」を得る。

その正しく考えることのできるその正しさを通して、生きながらあの世の「天」とそのまま通じている。

叡智も反省も秩序も愛も、すべての価値は、この「あの世とこの世を貫く幸福」である。

今後の未来にでてくる全宗教、全思想、全哲学もすべて、まずその説く価値が「あの世とこの世を貫く幸福」であるかどうかが判断材料となっていく。

叡智も愛も反省も秩序礼節も真善美も、またギリシャ人が目的としていたうるわしきもの、美しきもの、優れたるものも、すべてこの「あの世とこの世を貫く幸福」であるかどうかが問われるということだ。

過去・現在・未来の三世に出てくる真理や思想は、すべて今後この「あの世とこの世を貫く幸福」に流れ込んでくる。

あの世とこの世を貫かない価値は、真理ではないということだ。

真理、すなわち神の心ならば、必ず貫く。

貫かないのは、それは神の心ではないからです。

神の名を騙って神の心になっていない者達は、従って地獄にて不幸な生活を送ることとなる。

これを無間地獄という。

地獄は神の造った世界ではありませんが、それは堕ちている者達を見れば分かる。

神の造ったものではない価値を説くから神の造った世界ではない世界に堕ちる。

人間の作ったものを拝むなとは、逆から言えば神の造っていないものを拝むなということです。

神の造っていない価値や思想を拝んでいるから死後、神の造った世界ではない世界に赴くこととなる。

その者たちは神と切られている。

神と切られれば、すべての存在は悪となる。

そして神が造ったわけでもない世界に勝手に堕ちていく。

今後、出てくる宗教宗派、思想や哲学、価値や諸学問は、すべてこの「あの世とこの世を貫く幸福」であるかどうかが問われるということだ。

だから諸思想諸学問、諸宗教諸宗派は、すべてこの「あの世とこの世を貫く幸福」の教えに流れ込んでくる。

これが仏陀の「あの世とこの世を貫く幸福」ということです。

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コメント

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