真理関係

宗教 Ⅱ

宗教とは神の教えというより、神の心を説くものです。

神の心とは、人間精神の根源的本質であり、人類の心は全てこの神の心につながっています。

ソクラテスが言った「汝自身を知れ」というのも、神の心とは「汝」の心の中心に存在しておりますので、神の心を知れ、全ての全てを知れというのと同じです。

表面意識の奥には想念帯に隔てられている潜在意識があり、この潜在意識を最近では多次元世界として説き、あの世と言ってきました。

あの世とは自己の心と離れて存在している世界ではなく、自己の心の奥底に存在しています。

古い仏教では、この潜在意識を彼岸と言い、この彼岸から出てくる知恵を般若の智慧として説いてきたのです。

仏教では、この世を此岸とし、あの世を彼岸とします。

この世の此岸からあの世の彼岸に一人だけ乗せて渡れる小さい乗り物という意味で小乗仏教と言い、この世の此岸からあの世の彼岸に大勢の大衆を乗せて渡ることができる大きい乗り物という意味で大乗仏教と言ってきましたが、日本の仏教は在家を主体とした大乗仏教です。

この仏教でいう彼岸をGLAでは多次元世界として明確に説いたのです。

学問をやらせても、経営をやらせても、スポーツをやらせても、みな同一の結果を出すことはなく、差がどうしても出てきます。

真理も同じであり、一言「善」と言いましても、これを競争させても万人の努力やその質は千差万別であり、同じ結果はでないのです。

これを一つの平等の神の心から公平に評価すれば、「多」としてあらわれます。

あの世とは神の心が永遠の基準になっておりますので、この悟りをみな競争しているわけです。

すると5次元幽界、6次元霊界、7次元神界、8次元菩薩界、9次元如来界、10次元宇宙界の「多」としてあらわれます。

心の本質に同一の神の心を宿している点において人類はみな永遠に平等ですが、人類各人の努力もまた公平に評価されているのです。

多次元世界は、神の心が永遠の基準になっておりますので低い霊域から高い霊域まで全ての霊人が永遠の幸福を享受しています。

この世では神の体が基準になっておりますので人類の6割が地獄に堕ちている不幸な世界です。

あの世の基準は神の心、この世の基準は神の体で、あの世の「天」とこの世の「地」が天地分離しているのです。

天地一体が幸福。

天地分離が不幸。

この天地の分離がこの地上界における不幸の根本的な原因ですから、幸福の科学で初期説かれていたようにあの世とこの世を貫く幸福を説かなければならない。

あの世とこの世を貫く幸福とは、あの世の基準とこの世の基準を同じくするということです。

あの世のモーゼが初期述べていたように、「正法とは神の心とおのれの心を同じくするという、ただこれだけなのです」と言っていた通り、世界観的にもあの世の基準とこの世の基準を同じくしなければならない。

あの世の基準は永遠に神の心で不変なわけですから、この世でも神の心を基準にしなければ、あの世とこの世が貫かれた世界はあらわれません。

すなわち人類の幸福はあらわれない。

多次元世界には520億人もの霊人が存在しており、その多次元世界は個々人の心の奥にある潜在意識に存在しています。

一人一人の心の中に520億の霊人と30億の地獄霊が存在しているのです。

霊格の高低に関係なく、一人一人の潜在意識には5次元幽界、6次元霊界、7次元神界、8次元菩薩界、9次元如来界、10次元宇宙界の全てが存在しています。

これを悟れれば、多次元世界即我の悟りとなり、自己のただ中に全ての全てが存在している事実を知ります。

過去に生きた人類も死んで無になっているわけではなく、一人の例外もなくこの多次元世界の各次元世界のどこかに必ず存在しているわけです。

現在、肉体をもって修行中の人類もみなこの多次元世界から生まれてきているのです。

未来の人類もこの多次元世界から生まれてきます。

では過去の全人類と現在の全人類、そして未来の全人類が存在している多次元世界とは、どこにあるのか。

一人一人のただ中に永遠に存在しています。

これを全人類即我の悟りと言います。

では大宇宙を生み、表現した神はどこにいるのか。

実に一人一人の心の中心に存在しています。

宇宙(客観)は、神の心(主観)の表現ですから、主観と客観は永遠に合一しており、双方切り離すことはできません。

もちろん地獄界とは5次元幽界下段界に存在しておりますから、30億人の地獄霊や悪魔も一人一人のただ中に存在しています。

だから不用意にその表面意識で悪を出していれば、この地獄界と通じ、地獄霊の憑依を招きます。

その世界は自己の心の中にある存在であり、自己の心そのものだからです。

宇宙即我と言って宇宙だけが我なのではなく、多次元世界も自己の「心」そのものであり、これを多次元世界即我の悟りと言ってもいい。

善霊は善霊と通じ、悪霊は悪霊と通じるというのは不変の理法であり、未来においても変わることはありません。

神の心と大宇宙、520億人の多次元世界と30億人の地獄界、そして過去・現在・未来の全人類は全て個々人の潜在意識に存在しているのです。

すなわち一人一人の「心」は、「全ての全て」をもっているのです。

それほど偉大なる「心」というものを人間はみな神から頂いているのです。

ソクラテスはこの「全ての全てを知れ」という意味で「汝自身を知れ」と言ったのです。

古い宗教はその役割を既に終えていると思いますが、これ以上既存の宗教を残せば非常に多くの埃とチリが付着しておりますので、今後の人類の霊的進化の足を引っ張っていくことになります。

新たな信仰と新たな法を説いていかなければならない。

古い宗教でも説いてきてはいるのですが、如何せん色々な問題を含んでおり、年月が経ち過ぎていてどうにも修正しようがないものになっています。

日蓮宗では南無妙法蓮華経の題目を唱えますが、「南無」とは「ナーモ」、梵語で「帰依する」という意味であり、神への信仰のことを言っています。

「妙法」とは、妙妙なる法、完全無欠の法、完全なる法、すなわち神の心のことを指しており、蓮華とは仏法の象徴です。

蓮華は汚い泥沼に咲きます。

人間の肉体から出るもので美しいものは何もない。

目からは目くそ、鼻からは鼻くそ、大小便と泥沼のように汚いこの肉体の中にあっても、仏法を心の糧として生きた時、あの泥沼に咲く白蓮華のように美しい心になれるのだと日蓮宗では説きます。

神への信仰によって蓮華となる。

従って南無妙法蓮華経の意味とは、蓮華のような妙法に帰依するという意味です。

他力門では「南無阿弥陀仏」と唱えます。

南無とは同じく、「ナーモ」、梵語で「帰依する」という意味であり、阿はnotの「否定」、弥陀は「量り」であり、有限を意味します。

従って南無阿弥陀仏の意味とは、有限を否定した無限なる仏、この量り知ることのできないほどの仏に帰依するという意味です。

これももちろん神への信仰とその帰依の大切さを説いているわけです。

各宗派に個性がないではないが、自力門の禅では神の心、この人間精神の根源的本質の力こそ本当の自分の力という意味で自力門と言い、禅では自力で自己の本質に到達しようとして修行します。

他力門は、この人間精神の根源的本質にある神の心に縋ろうとする傾向が強い。

自力門は自力で神の心を悟らんとし、他力門は神の心に縋り、頼ろうとするのです。

どちらも人間精神の根源的本質である神の心から出ているために、自力門と逆の原理から出立している他力門は神の存在によって統一されている。

ただ自力が「天」であり、他力が「地」で、永遠に天地一体です。

他力は目的にもならず、否定してもならない。

正しい自力に入っていれば、必ず他力も入るため否定はできない。

目的と否定の両極端の中道に入る道が方便の教えに対する正しい捉え方です。

にも拘らず他力を目的とし、「天」に置けば念仏地獄の因となる。

人間の自我はその知識・思考・概念・認識・情操、全て相対的な性質しか有していません。

相対性とは物質と同様、「矛盾」を意味しており、それだけですと人間は善にはなれないのです。

矛盾から発して矛盾に終わる今の文明のような人間になる。

人間(矛盾)は神の心(統一)によってしか善の存在にはなれません。

神とは宇宙の大統一者である : 西田幾多郎

すなわち神の存在を否定すれば、人類は悪になるしかないのです。

その悪になっている人類が世界で今、何をしているかはご覧の通りです。

世界は崩壊寸前です。

無神論とは、人類の存在を悪に堕とす思想ですから真理上は最も罪が重い思想の一つです。

思想は自由かもしれませんが、もしそれが間違っていた場合、自分がその責任を取るしかないのです。

だから個人的には何も悪いことをしていなかったあの善意の学者であったダーウィンも、その「進化論」を通して人類を無神論に導いた罪を良心が恥じ、未だ無間地獄で反省行に打ち込んでいるのです。

人の「心」は、神の心によってのみ善となり、神の心によってのみ進化します。

これも人間が反論できるようなことではなく、永遠にそうなっているのです。

ただ神への信仰と言いましても、古い宗教ではその信仰の対象がバラバラであり、これを今回は統一しなければならない。

多くは名称のある方便の神を拝んでいるため、宗教宗派によって信仰の対象がバラバラなのです。

バカなのになれば、肉体をもっている教祖を神として拝む生き神信仰に耽っており、多くの大衆を騙しています。

これは既存の宗教家に責任があると思いますが、神とは何かを知りもせず、悟ってもいないのに神の御名を語って信仰を説き、神ご自身の存在を誤解させています。

目の前の大宇宙の存在を見て下さい。

この大宇宙の存在を神というのです。

大宇宙が神ですから、その神の心と神の体で過去・現在・未来の全人類を永遠に幸福で支配しているのです。

従って今後、神への信仰とは大宇宙の叡智と神秘への信仰となり、神の心と神の体、いわゆる大宇宙の探求に入っていきます。

大宇宙や自然界を神と言っているのは何も私だけではなく、過去神の思想を悟られた方々はみな言っていることなのです。

ヘーゲルやエマソン、西田幾多郎やゲーテの動画はありませんので仕方ありませんが、GLAの高橋信次氏の動画ならば、多少画像は悪いですが、残っています。

20秒です。

「大宇宙や自然界そのものが神なのです」と、はっきり言っているはずです。

だからGLAの御本尊は「大宇宙、大神霊、仏」だったのです。

人類は永遠に大宇宙と一体で生きておりますので、相対的な自我を強めれば、同じく相対的な物質(神の体)の方面に支配され、物質の属性をもった思想と行動しかとれなくなり、全世界を悪化させていきます。

人間が神我や良心を強めれば、同じく神の心の方面に支配され、神の心の属性をもった思想と行動を取るようになり、全世界を良化していきます。

人間が果たして自我を強化するのか、神我を強化するのかは自力です。

自力ですが、自我を強化すれば、神の体の方面の支配を受け、物質は「地」ですから人類は一丸となって「地」に向かうことになります。

神我を強化すれば、神の心の方面の支配を受け、「天」に向かい、神への信仰によって全世界を良化していく人類となります。

では人類は何故、神の体の方面に支配されるようになったのか。

神への信仰を失ったからです。

ただそれだけのことで世界はボロボロになっていったのです。

神への信仰を失ったがゆえに相対的な自我のままに生きるようになり、相対的な自我のままに生きれば、自我の相対性と物質の相対性が同通し、心が物質に支配されるようになり、物質の属性をもった思想と行動しか取れなくなるのです。

そして人類はみずからの選択で「地」に向かうようになったのです。

だから相対的な富を「天」に置いて気候変動まで引き起こしているのです。

だから相対的な国益を「天」に置いて自然界を荒らし回っているのです。

だから相対的な自我を「天」に置いて生き神信仰に耽ったり、物質の相対性に支配されて自他と上下の相対的比較観の中で苦楽を作り、左右の両極性に偏り、自然界のバランスを崩していったのです。

神の存在を否定するのは勝手かもしれませんが、人間は神の心によってしか善の存在にはなれないのです。

神の存在を否定すれば、その本人が悪の存在になるだけです。

また神への信仰を「信仰の自由」と称して選択の自由に堕とすのも勝手かもしれませんが、神への信仰を失えば、人間は必ず自我のままに生きるようになるのです。

この大宇宙に生きている限り、相対的な自我のままに生きれば、同じく相対的な物質と同通し、「地」に支配され、必ず神の体(物質)の方面の支配を受け、「天」ではなく、「地」に向かい、世界は無限に腐敗していくことになるのです。

霊格が高かろうが、低かろうが、関係なく、相対的な自我を強化すれば、必ず相対的な物質と同通し、物質に支配され、神我か良心を強化すれば、必ず神の心の方面の支配を受けるのです。

人間が果たして自我を強めるのか、神我を強めるのかは自力です。

自力ですが、自我を強化すれば神の体に支配されて「地」に向かい、神我を強化すれば神の心に支配されて、「天」に向かうことになるのです。

これは人間では、「もう、どうしようもない」のです。

神への信仰とは科学ですから、誰であろうがそうなります。

例外はありません。

信仰とは科学ですから、水素と酸素を混ぜれば、否応なく水ができますように、神の体を「天」に置けば、否応なく全世界は腐るのです。

これも人間では「もう、どうしようもない」のです。

人間はどう自由に悪を為しても神の体の範囲を出ることはできず、どう自由に善を為しても神の心の範囲を出ることはできないのです。

この点も人間では「もう、どうしようもない」のです。

神への信仰を否定するのは勝手ですが、本当は義務になっておりますので勝手ではないのですが、信仰を失いますと必ず人間は物質に支配され、神の庇護を失うのです。

個人であろうが、文明全体であろうが、神の庇護を失います。

人間は今後も誰であろうが、神の心によってしか善にはなれないわけですから、次世代の新たな文明では、神への信仰を当然の前提としなければならない。

無神論の時代は、もう終わりです。

大体、神の存在を否定して地球ユートピアなんてできるわけねぇだろって話。

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