宗教 Ⅳ

諸神霊によれば、現代の宗教団体の96%は小悪魔・中悪魔・大悪魔のいずれかの支配下にあると言っていました。

ならば宗教界とはイコール地獄界のようなものであり、まさに「触らぬ神に祟りなし」の世界です。

しかして神の心は説かざるを得ず、そして説けばこの碌でもない連中と同一視されるわけです。

ここでは主に間違っている宗教の特徴を見てみたいと思います。

過去・現在・未来に出てくる全宗教・全哲学・全思想の正邪を分けているのは人間の多数決ではなくして眼前の大宇宙、すなわち神が永遠に分けています。

過去・現在・未来に出てくる全宗教・全哲学・全思想の正邪を分ける公理は、こちらの「宗教の正邪を分ける公理」と「宗教の正邪を分ける7つの公理」で扱っておりますので省略します。

宗教の正邪は人間が決めているのではありません。

永遠に神ご自身が決めているのです。

神の心は人間の書いた書物、いわゆる聖書や仏典、法華経や聖典の中にあるのではなく、大宇宙と自然界にのみ表現されています。

過去と現在、そして未来もそうですが、聖典と言われるものはそれが神の心に叶っている限りにおいて、例外なくこの大宇宙と自然界に表現されている神の思想の一端を読み取って書かれているか、あるいは啓示型宗教のようにあの世の諸神霊が下ろしたものであり、神ご自身が書物を書くことはないわけです。

宇宙は言葉を喋らないし、自然界は書物を書きません。

あえて完全なる神が直接書いた書物は何かと言えば、それは大宇宙と自然界の存在そのものです。

従って過去・現在・未来に出てくる多様な神の心は、全てこの大宇宙と自然界に帰一します。

内界では多様な真理は、全て精神の根源的本質である神の心に帰一すると言ってもいいが、その神の心は単に内界において主観的に存在するだけではなく、自己の思想を外界において客観的に大宇宙や自然界に表現しています。

エマソンやヘーゲル、あるいはゲーテのようにこの世で大宇宙と自然界からそこに表現されている神の心の一端を直接読み取り、書物として残している場合もあれば、マホメットやスピリチュアリズムのようにあの世から直接人格神が啓示を下ろしている場合もあります。

エマソンやヘーゲルもあの世の諸神霊から啓示やインスピレーションを受けながら書物を書いておりますので、マホメットがアラーから啓示を受けるのと大差はありません。

その書物の価値の源泉は、同じ如来界から下ろされているからです。

どちらにしろ大宇宙と自然界に表現されている神の心の一端を読み取っているのです。

完全なる神の心は、ヘーゲルが残しているように歴史の究極目的ですからそれを説ける神霊はあの世にもこの世にも存在しません。

エマソンが言うようにイエスであろうが、釈尊であろうが、マホメットであろうが、人間を通して出てくる真理は全て神の近似値に過ぎないのです。

人間も諸神霊も、この完全なる神の心に歴史を通して一歩一歩着実に神の近似値を積み重ねていく以外に全く道がないのです。

ヘーゲル哲学では、この歴史の究極目的である完全なる神の心を「絶対精神」と呼び、これは人間には認識できませんが、その完全なる神の心に向かう過程において出てくるその時代時代において最高の精神を体現した存在を「世界精神」と呼び、「絶対精神」と明確に区別しました。

過去・現在・未来において完全なる真理を説ける者は存在しませんが、時代の節目においてその世界で最高の精神を体現した存在はいつの時代でもいるのです。

だからヘーゲルの場合、馬上のナポレオンに世界精神を見たと言ったのです。

宇宙は神の心の表現体ですから、宇宙と自然界には神の思想が表現されています。

宇宙と離れて真理なく、自然界と離れて真理なしです。

宇宙は真理の表現体ですから、完全なる神の心が唯一表現されている存在です。

草原に吹く風の音一つにも神の栄光はあらわれています。

エマソンは、自然界を完全であると言い、自然界の対象や事物には全て神の思想が象徴されているのだという象徴主義を説きましたし、ヘーゲル哲学では「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」と残し、神の心(理性)は宇宙や自然界に現実化しているのであり、宇宙や自然界の現実にはまた神の心があらわれていると残しています。

般若の色即是空、空即是色です。

形あるもの「色」は、是「空」、神の心のあらわれであり、神の心である「空」は、是「色」、物質にあらわれている。

ゲーテは日月星辰・山川草木・地水火風の動きは全て神の詩であり、ポエムであると説いています。

西田哲学では、大宇宙と自然界の現実そのままが真理であると説かれ、高橋信次氏の場合、「自然界は法のあらわれである、人はこの法をもって思いと行いを正せよ」と説いたわけです。

神の心は大宇宙と自然界にあらわれている事実をみな悟っているのです。

自然界にあらわれている法をもって、人がその思いと行いを正せばどうなるか?

自然界にあらわれている神の心と人の心が合一し、自然即我、あるいは宇宙即我となります。

自然即我の悟りは如来でなければ悟れません。

近代、神の思想を悟られた方は、全て目の前の大宇宙と自然界から神の心を読み取って真理を説いてきているのです。

ここに例外はないのです。

たとえあの世から下ろす啓示型の宗教の場合でも、あの世の諸神霊は人間のような罪や悪を犯すことはなく、また人間の意識量とは異なり、格段に大きい意識量を誇っておりますので人間以上の認識力を持っているのです。

それでもその下ろす真理は、この大宇宙や自然界に表現されている神の御心をその時代において最高レベルで読み取った思想を下ろしているのであり、やはりエマソンが言っていたように神の近似値に過ぎないのです。

啓示型の宗教でも、あくまで神近き人格神が下ろしているのであり、宇宙の創造主である神ご自身が、人間が読むような書物を書くことはないわけです。

宇宙のゴッドが人間のような言葉を喋ることもなく、その思想は永遠に大宇宙と自然界に「象徴」として、「比喩」として、「現実」として、「仮定」として、「表現」としてあらわれています。

この宇宙や自然界に表現されている神の心を読み取れる者を仏教では「如来」と言い、だから如来の共通の悟りは宇宙即我であり、梵我一如であり、自然即我なのです。

宇宙と自己が一体であり、宇宙と十分通じているために宇宙に表現されている神の心が読み取れるのです。

菩薩以下はまだこれを読み取ることができないために神の心が説けないということです。

宇宙即我というより、少し宇宙と離れているため神の心を十分説くことができないのです。

過去・現在・未来に出てくる全ての神の心というのは、内界では大魔王即大如来の絶対矛盾的自己同一としての神の心に帰一し、その神の心は具体的には外界の大宇宙に表現されておりますので、大宇宙や自然界に帰一すると言っても同じです。

全ての真理が宇宙に帰一するのは、大宇宙が神だからです。

従って宗教の正邪は、この大宇宙の構造と仕組みから判断していかなければならない。

宇宙は神の心の表現体であり、神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

縦の理法は天地一体の理法ですが、横の理法は宇宙即我の理法であり、共通点は神人合一の悟りです。

かく最深の宗教は神人同体の上に成立する。

人生の意義はこれを獲得するにある : 西田幾多郎

もし仮に全人類一人残らずが、神の心と自己の心を合一させることができれば、その時、一体誰が地獄に堕ちるのでしょう。

全人類一人残らずが、神の心と合一しているのです。

一体誰が地獄に堕ちるのでしょう。

そう、一人も堕ちません。

神人合一の悟りに地獄なし、ただ全人類の幸福のみあり。

天国に帰天できれば幸福であり、地獄に堕ちれば不幸です。

神人合一の悟りによって一人も地獄に堕ちないわけですから、全人類の幸福が実現するということです。

西田哲学はこれを言っているわけです。

神の存在なくして人類は決して幸福にはなれないのです。

その意味でも次世代の文明の根底には神への信仰を土台に置かなければならないでしょうね。

いい加減な神への信仰ではなく、大宇宙としての本当の神です。

大宇宙が全人類を救うでしょう。

既に地獄界と化している既存の宗教界については、あまり言及したくないわけですが、ここでは主に間違っている宗教の類型を3つほど扱いたいと思う。

その前にどの悪しき宗教でも同じですが、宗教とは神の心とおのれの心を同じくするというこの一点を知らなければ、その正邪を見ぬくことはできません。

初期の幸福の科学においてモーゼがあの世で述べていたと思いますが、「正法とは神の心とおのれの心を同じくするという、ただこれだけなのです」という言葉を決して忘れてはなりません。

もっと言えば宗教とは神の心と自己の心を同じくするという、ただこれだけなのです。

神の心とおのれの心を同じくするには、幸福の科学的な「正しき心」や真善美、愛や慈悲、正義や叡智の心でなければ同じくすることはできません。

具体的には自己の良心を通してしか神の心と自己の心を同じくすることはできないのです。

自己の良心を離れて神の心なく、自己の神我を離れて真理なしです。

従って背後で悪魔のコントロールを受けているような宗教団体の普遍的な特徴とは、必ず本人とその本人の良心とを切り離そうとするということです。

これは共通しています。

地獄霊や悪魔は人間を地獄に引きずり込みたいわけですから、その者とその者の良心を切断すれば地獄に堕とせるわけです。

あらゆる多様な手段を使って本人とその者の良心を切り離そうとします。

その一つの類型が手かざし系の宗教です。

悟りと反省が「天」であり、悪霊の除霊が「地」で、永遠に天地一体です。

神の心をみずから悟るか、あるいは神の心に照らして反省すれば、これを原因として結果、悪霊が剥がれ、除霊という御利益が現象化します。

真理と現象利益は、精神即物質で一つであり、双方は一実在の両方面です。

古い宗教では神と金の二人の主に兼ね仕えることはできないと説かれてきましたが、これは神と金、真理と現象利益を自我で切って金よりも神を取り、現象利益よりも真理を取れという自我に比喩した方便の善であり、近代神の思想を悟られた方は、こういった方便の真理は説いていません。

ここら辺が古い宗教の限界です。

真理が統一であり、現象利益は矛盾です。

しかして真理即現象利益、神の心即神の体、統一即矛盾で双方は一実在の両方面であり、切ったら実在とはならず自我となり、自我は「地」であるから「地」に向かうことになります。

西田哲学では統一即矛盾の実在論で説かれておりますが、GLAの高橋信次氏ならば、現象利益は正法に付随するものであり、現象利益、大いに結構と言っていたはずです。

神と金、真理と現象利益は、精神即物質の理法から一体であり、双方切れないのです。

神と金の二人の主がいるわけではなく、一人の主しかいないわけです。

近代の真理は昔の宗教よりも高い真理が説かれており、神と金の二人の主に兼ね仕えることはできないのではなく、神と金、真理と現象利益の双方に仕える道が真の神の道として説かれているのです。

宇宙において神の心と神の体は永遠に一つであり、この大宇宙の姿が人類と文明の繁栄法則を教えています。

従って神の心を悟れば、神の心とおのれの心が同じくなるため悪霊や悪魔は憑いていることはできず、除霊という現象利益があらわれます。

あるいは神の心に照らして反省すれば、ここでも神の心とおのれの心が同じくなるため、除霊という現象利益があらわれます。

真理と現象利益は一つであり、双方は一実在の両方面です。

悟りと反省が「天」であり、除霊が「地」で、永遠に天地一体です。

真理が「天」であり、現象利益が「地」で、永遠に天地一体です。

手かざし系の宗教が間違っているのは、この「地」である除霊を「天」に置いているからです。

現象利益を「天」に置いているがゆえに大宇宙、すなわち神ご自身の目から見て間違っていると断定していいのです。

これは金を目的にしている者達と変わりません。

だから手かざし系の宗教の教祖は軒並み地獄に堕ちてしまうのです。

いくら手かざしで悪霊をとっても、何らその者の心と神の心は同じくなっていないのです。

真理とは神の心とおのれの心を同じくするという、ただこれだけですが、手かざし系の宗教では神の心とそこの信者の心が同じくなっておらず、単に除霊という現象利益を目的にしているために間違っているのです。

手かざしで神の心とおのれの心を同じくすることはできないのです。

悟りと反省が「天」であり、除霊が「地」で、永遠に天地一体です。

悟りと反省が「天」に置かれるのは、悟りと反省は神の心と自己の心を同じくするからです。

そして同じくできた時、除霊という現象利益があらわれ、そのピカピカの心に悪霊や悪魔は二度と憑依することはできなくなる。

イエスや高橋信次氏も似たようなことをしておりましたので現象的に迷う気持ちも分かりますが、手かざし系の宗教は真理即現象利益の「即の中道」よりも右の現象利益に自我で偏っているために間違っているのです。

左右の両極端を捨てて中道に入れ : 高橋信次

人を迷わせる時というのは、大抵は現象利益で騙すのです。

あらかじめ弱い悪霊を憑けて病気にしておいて、後から強い悪霊がそれを追い出しますと、あくまで一時的ですが病気が治ることがあり、一旦その治病という現象利益を経験してしまいますとその現象利益ゆえにその悪しき宗教に入れ込み、最後はお決まりの場所につれていかれます。

利益を求めているから騙されるのです。

これも現象利益を求める人間の側の未熟と弱みにつけ込んだ手口ですが、悪霊や悪魔は神の体(物質)の属性に支配されておりますから、この物質の属性である「弱性」、すなわち必ず人の弱みにつけ込む思想と行動を取るということです。

物質や肉体とは、要は地上人間にとっては弱みなのです。

あの世ではお金がありませんので誰もお金を追っている者はいないわけですが、一旦この世に生まれてきますと肉体をもっておりますので、生まれる前は追ったこともないお金を一生懸命追うのです。

あの世では富を追いませんが、この世では追っており、あの世とこの世が貫かれておらず、切られています。

そうしてあの世の「天」とこの世の「地」が分かれ、あの世とこの世が貫かなくなり、この世に不幸が際限もなく現象化してくるのです。

お金を追わざるを得ない資本主義に最大の問題点があるわけですからこの資本主義は変革する必要があります。

気候変動もある意味資本主義が原因とも言えるのです。

神の心を追わざる得ない世界が正当な世界なのですが、資本主義は神の体(富)を追わざるを得ない不当な世界なのです。

資本主義自身も人類の成熟ではなく、未熟から生み出された経済原理ですが、気候変動の問題も地獄界の問題も、単に人間個々人の未熟だけでは説明できないものがあるということです。

悪霊や悪魔は神の体に支配されておりますので、この物質の属性のままに生きています。

物質の属性から出られないのです。

最も低い善である神の体(物質)に支配されているにも拘わらず、神に逆らっているつもりでいるのが滑稽さを通り越して憐れです。

ルシフェル以下、全ての悪霊と悪魔は神の体なくして思うことも行うこともできないのです。

従って神の体の属性の探究によって人類は今後多くの悪の問題における原因と解答を得ることになります。

人間の側が利益だけを求めておりますと百戦錬磨の悪魔に必ずやられます。

どこかにやられた救世主さまがいたはずですが、利益だけを求めているからやられるのです。

物質の属性には「利益性」があり、悪魔はこの属性に支配されており、しかも人間の80年どころか数千年、数万年と追ってきており、物質に関しては百戦錬磨なのです。

自我で悪魔と戦おうとすれば、必ず負けます。

相対的な自我では悪魔に勝てないのです。

残念ですが、この世の人間では悪魔に勝つことはできません。

意識量も違いますので、悪魔を舐めて自我で戦おうとしたり、利益ばかりを追っておりますと必ず虜となり、魅入られます。

利益や富といった相対的なもので世界を良化することはできないのです。

人類の幸福の原理とは、天地一体の原理ですから次世代の文明ではこの大宇宙を模範にしていかなければならない。

最後まで行きませんでした。

紙幅の関係で切っておきます。

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