真理関係

真理の土台 4

存在論的証明とは、従来の哲学的議論によって議論されてきた内容ではなく、当サイトのオリジナルです。

というのは神の存在証明と言いますが、実は神とは科学的な手法、あるいは理論で証明する必要のない存在であり、今までの神の存在証明とは、その証明しようとする側がそもそも神とは何かが分かっていないで証明しようとしているため、いつまで経っても神が証明できないでいます。

神の存在が証明できないのは、神とは何かが分かっていないからです。

その結果として神を信ずる者もいるであろうが、信じない者もいるであろうという方便の世界に堕ちることになる。

そしてその神を信ずる者でも、別に神を信じているわけではなく、多くが諸神霊の中の方便の神への信仰になっています。

キリスト教ならばイエスへの信仰、イスラム教ならばアラーへの信仰、ユダヤ教ならばヤーウェ、あるいはモーゼの教えと言った方便の神への信仰になっています。

数千年前の宗教では当時、学問や科学、あるいは教育も進んでおりませんから、今回説けるような真の神、この宇宙のゴッドへの信仰は説けなかったわけです。

説いても当時の大衆には理解できないからです。

だから数千年前に創始された宗教は名前のある方便の神への信仰を説き、大衆を導いていました。

霊天上界の諸神霊は地上人間のような罪や悪は犯しませんから、当時は方便の神が、まるで宇宙のゴッドのように大衆を導くことが許されていたのです。

ところが現代ではこれが許されていないのです。

これを時代の要請と言いますが、地球ユートピアの法を説かなければならない現代では、目の前に永遠に在る大宇宙、すなわち本当の神への信仰を説かなければならず、またそれが説ける稀有な時代なのです。

名前のある神というのは、全て方便の神であり、人格神です。

地上人間に対しては相対的な上位者であって、絶体的な上位者ではないのです。

本当の神には名前はありません。

名前とは他と区別するためにつけられるものであり、自他一体の本質である神には他と区別する名前は本来ないのです。

ただそれではこの絶対の意志やエネルギー、あるいは絶対の理法や法則を説明できませんから、地球ではこの自他一体の絶対の意志を「神」という名前で呼んでいるだけです。

アラーの生命の本質にも神の心はあり、イエスの生命の本質にも同一の神の心が在るのですが、この神は他と区別できるような存在ではないのです。

アラーはイエスと区別でき、モーゼはゼウスと名前と個性の相違で区別できますが、真の神は他と区別できないのです。

ゼウスの生命の本質にも神の存在はあり、モーゼの生命の本質にも同じ神が在るのです。

この神を見性した時、ゼウス即モーゼとなり、真の自他一体の悟りが顕現します。

西田博士もあの世で述べておられたと思いますが、形式論理学はこの矛盾律から抜けられないために救いがないのです。

Aは非Aではなく、Bは非Bではないという矛盾律から抜けられないわけです。

鉛筆は消しゴムではなく、自分は他人ではなく、日本はアメリカではない。

Aは非Aではないという矛盾律を超えられないために形式論理学に救いはないのです。

Aは非Aではなく、アラーはイエスではなく、イエスもアラーではない。

Aは非Aではなく、自分は他人ではなく、モーゼはゼウスではないという矛盾律が、神の心を見性しますとAは非Aであり、ゼウスはモーゼであり、アラーはイエスであるという自他一体が真理の世界では成り立つのです。(絶対矛盾的自己同一)

神への信仰とは、この自己の本質を信ずることであり、だからエマソンは神への信仰を自己信頼の思想として説いた。

神とは思惟の根底にあって統一している或るものである : 西田幾多郎

既存の宗教の問題点とは、他と区別できない神を信じているのではなく、他と区別できる方便の神を信じている点です。

これが宗教戦争の一つの原因となっているものですが、古い宗教では仕方がない面もありますが、今回は地球最終ユートピアの法が説かれる時代ですから、本当の神への信仰を説かなければならず、今後数千年土台としなければならないのです。

7次元神界人の本質にも神はあり、10次元宇宙界の神霊の本質にも全く同一の神が存在しているのです。

この同一の神の心が、自己を客体化している世界が、目の前の大宇宙です。

従ってゼウス神であろうが、アラーであろうが、イエスであろうが、全ての諸神霊はこの宇宙、すなわち神の心と神の体が永遠に支配しています。

従って今後、真理の探究とは、神の心と神の体の探求、すなわち大宇宙の探求へと向かいます。

宗教戦争の原因の一つは、この神の秩序を崩している点にあらわれています。

大宇宙が「天」であり、名前のある方便の神は「中」であり、地上人間は「地」です。

この天・中・地は、永遠に変わらない神の秩序ですが、この神の秩序を崩した時、神が造ってもいない罪があらわれ、悪が無限にあらわれてきます。

「中」であるアラーやイエスと言った方便の神を「天」に置いたり、「天」である大宇宙を「地」に置いたり、地上人間に過ぎない「地」である人間を「天」に置いて生き神信仰に耽ったりしますと、これが天・中・地の不変の神の秩序を崩すことになり、様々な悪や罪が現象化してきます。

プラトンはゼウス神やアラー、モーゼやイエス等々の諸神霊を神と人間との「中間者」と呼びました。

言い得て妙であり、既存の古い宗教では、この天・中・地の神の秩序における「中」の方便の神を「天」に置いて信仰してきたため、神とは信ずる宗教によって異なると認識し、自他を分けて宗教戦争のようなことをしてきました。

全ての宗教で信じられている名前のある方便の神を全て統一している存在が真の神であるということです。

すなわち人間生命の本質です。

中間者の「中」の存在、そして「地」である地上人間は、全て「天」である神の心と神の体、この大宇宙が永遠に支配していますが、「地」である地上人間に対して「中」の存在は相対的上位者ですから、大宇宙以下、人間以上の「中」ということです。

既存の古い宗教は仕方のない側面もありますけれども、この「中」に過ぎない名前のある諸神霊を「天」に置いて信仰しているため神の名の下に対立と戦争がいつでも生まれる因となります。

大宇宙という真の神を「天」に置き、その意味を理解し始めた時、宗教戦争は地上から消滅していきます。

逆から言えば神に対する無知が宗教戦争の要因とも言えます。

神とは何か、とは自己の本質とは何か、宇宙とは何か、神の善悪とは何かと同じです。

全ての善の源は神の心であり、全ての悪の源は神の体です。

全ての善を知るとは、神の心を知るということであり、全ての悪を知るとは、神の体(物質)を知るということです。

宇宙は神の表現体であり、神の体です。

神の心と神の体を知る、すなわち大宇宙を知ることが全ての神の善悪を知り、自己の本質を知るということです。

過去・現在・未来の全人類を永遠に支配している存在が神であり、これは具体的には神の心と神の体で支配しています。

多次元世界を支配しているのは神の心であり、地獄界を支配しているのは神の体です。

天国と地獄、そしてこの世の地上人間の全てを永遠に支配している存在が神であり、宇宙であるということです。

この大宇宙に生存している限り、この神の心と神の体の理法の枠外に置かれている存在はありません。

何も神の心と神の体は地球人だけを支配しているわけではなく、全ての宇宙人をも支配しています。

大体、地球系霊団自体が、元々様々な宇宙人の寄せ集めだそうですからね。

肉体の形態はそれぞれ異なっているのでしょうが、その形態を取り去り、生命そのものとして見れば、宇宙人の本質も地球人の本質も同じ神であり、神においてのみ永遠に平等であるということです。

この神の存在を否定すれば、我々人類の側に平等が失われてしまいますので、神の存在は認めざるを得ないのです。

平等観からも神の存在は必然的に要請されます。

カント的な方便としての神の存在証明でいいならば、非暴力からも神の存在は必然的に要請されますし、世界平和からも神の存在は必然的に要請されます。

カントが主張した道徳観からも神の存在と霊の不死は必然的に要請されますし、ヒューマニズムからも神の存在は必然的に要請されます。

一人残らずの全人類救済法則からも神の存在は必然的に要請されますし、地獄界消滅の法からも神の存在は必然的に要請されます。

現象利益からも神の存在は必然的に要請されますし、神の存在証明というのは、方便の証明法であればいくらでもあります。

神への信仰とその内容の理解を抜きにして世界の諸問題は何一つ解決することができないのに、よく無神論のまま生きられるなというのが正直な感想です。

無神論者というのは、その人生観と世界観が矛盾だらけの人間だということです。

神という大統一者を欠いているわけですから、その思想や哲学、その人生観や世界観は必然的に矛盾するのです。

その矛盾した人生観と世界観によって全世界が腐敗しているわけです。

万法帰一、あるいは宗教では万教帰一とも言いますが、その帰一する神の心を欠いた場合、万教は全てバラバラとなり、統一を欠き、その矛盾の海の中に没していくのです。

神の存在が欠けた宇宙船地球号は、まさにタイタニック号です。

そこで大統領だの、総理大臣だの、色々定期的に変えながら、タイタニック号で席替えをして遊んでいるわけです。

しかして所詮はタイタニック号に変わりありませんから、沈んでいく運命に相違はなく、神の存在をその心に取り戻さなければ、アトランティスのように世界はそのまま沈んでいくことになる。

地球という神の神殿に生きていながら、よく神殿の主を無視して生きられるものですが、実際は生きられませんのでこの世界は一旦は崩壊していくか、あるいは際限もなく衰退していくことになる。

存在論的証明とは、当サイトのオリジナルです。

これは神が存在しているがゆえに証明する必要のない証明法でもあります。

宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である(manifestation): 西田幾多郎

宇宙は神の表現体であり、神の体であり、神の神殿です。

眼前の大宇宙を見て下さい。

この大宇宙が神の体だと言っている。

高橋信次氏も生前そう言っていたはずです。

神はちゃんと目の前に存在しているではないか。

眼の前にある大宇宙の存在を否定できない限り、神の存在は否定できないということです。

これが存在論的証明です。

大宇宙が存在している限り、神は存在しているということです。

議論の余地はないのです。

だから証明する必要のない証明法だと言った。

眼前の大宇宙の存在を否定できる者が人類の中で一人でもいるでしょうか。

過去・現在・未来の三世を通して大宇宙の存在を否定できる者は永遠に一人も存在しません。

つまり神の存在を否定できる者は今後、永遠にいなくなる。

神の心と言えば、それは分からない方もいるかもしれない。

しかしてどのように無知で未熟な人間であったとしても、神ご自身は神の子達に、絶対に神の存在だけは否定させず、またできないように自己を宇宙として表現されています。

そして実際、我々の肉体と精神共に目の前の大宇宙に永遠に支配され、養われ、生かされています。

眼の前に存在する大宇宙を否定できる人がいますか?

いません。

つまり神の存在を否定できる者は一人もいないということです。

ただ人類は宇宙が神だという事実を知らないだけです。

自然界が神の体の細胞である事実を知らないだけです。

あまりに小さき我々人間の前に、大宇宙というとてつもなく巨大で、途方もなく広大な存在を目の前にいきなり置かれても、それがあまりにも巨大で偉大なためにそれを神だと気づかないだけなのです。

しかして人類がそれに気づこうが、気づくまいが関係なく、大宇宙が神ですから過去・現在・未来の全人類を一人の例外もなく幸福で支配しています。

宇宙の広さとは、神の心の広さです。

これほど広い心で生きられる人間は今後も存在しないでしょう。

我々人間はこの大いなる心を目指し、向かっていくことしかできない。

ただ人間は、我々よりも遥かに偉大なその大いなる存在とその大いなる心を見失っているだけです。

神は人類の目の前にそれを永遠に見せてくれているのですが、それでも未熟な人間はそれを見失うのです。

傲慢がその者を盲にした。

メクラだからその大いなる心が目の前にあっても見えないのです。

そしてメクラですから、あちこちにぶつかってみずから心を傷つけていく。

大宇宙とは神の体ですから、どんなに未熟な方でも神は認識できます。

大宇宙は神の体ですから当然、その神の体には神の心もあるわけです。

その神の心は一人一人の心のど真ん中に永遠に着座しています。

だから自己の心を知ることは、神の心を知ることになっている。

宗教家のみなさんは目の前の大宇宙と神がどうしても結びつかないようですが、では眼前の大宇宙を一体何だと思っているのでしょう。

神と人類は永遠に一体で生きておりますので、宇宙がなくなれば人類もなくなります。

極微の人間と極大の宇宙は一体ですから、人間の側が相対的な自我を強めれば、同じく相対的な物質(神の体)に支配され、神我を強めれば、同じく神の心に支配されていきます。

支配されるのは永遠に大宇宙と一体だからです。

イエスであろうが、釈迦であろうが、自我を強めれば、神の体(物質)に支配され、神我を強めれば、神の心に支配されるのです。

どうしようもないのです。

永遠にそうなっているのです。

そして人類は信仰を失ったために、また信仰があっても盲信と狂信がほとんどであるため、自我を「天」に置き、神の体に支配されて物質もまた「天」に置かれ、相対的な神から遠い富を追い、相対的な神から遠い国益を追い、神から遠い大衆を主権者と称して「天」に置き、一生懸命神から遠い世界を造り、みずから腐敗し、気候変動で滅びの道へと歩んでいる。

今回は「神約民主論」国家の実現を通して目の前の大宇宙の絶対的権威の確立、精神の本質の客観化、神の存在の永遠化の実現が地球という惑星単位の救済の基本であり、今後の地球ユートピア実現の布石です。

人民共通の利益に基づいた国家契約から人民共通の人生の意義に基づいた国家契約です。

人民共通の「人生の意義」とは、神の心しかありませんから、「神約民主論」国家では、当然神の心が「天」に置かれ、神の体が「地」に置かれる。

すると目の前の真の神である大宇宙と我々の文明が融合し、一体となっていき、エデンの楽園が再創造される。

この宇宙では神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

この通りの文明が創造される。

天地一体の文明が、仏国土であり、神の国の建設であり、地球ユートピアの実現です。

取り合えず眼前の大宇宙が神であり、大宇宙とは自己の心の本質が客観化されている存在であるという基本的な事実を知って頂くということです。

神とは何かを知らない者の神の存在証明などある意味ご苦労さまの世界です。

神の存在を証明するも何も目の前に大宇宙として存在しているわけであり、また否定もできないわけです。

地球ユートピアというのは、神の存在を否定してできる世界ではないのです。

人類の存立の基盤が宇宙であるように地球ユートピア実現の基盤も神の心とその存在なのです。

仏国土顕現とは、地球ユートピア顕現であり、エデンの楽園創造であり、神の国建設事業です。

これは全て天地一体の文明創造によって実現される。

地球ユートピアの土台には、いつでも神の存在があり、大宇宙が在る。

従って神への信仰が地球ユートピアを造るということです。

逆から言えば神への信仰なくして地球ユートピアは永遠にできないということです。

正しい知識に基づいた神への正当な信仰に覚醒することです。

今後の1000年はあらゆる方が地上に出てきて、この地球ユートピアを造っていく歴史になるのです。

今回の救世事業とは、この土台作りということです。

これが存在論的証明です。

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