真理関係

大川隆法氏 一周忌

本来ならば今年が大川さんの一周忌ですが、幸福の科学は大川さんの葬式もあげておりませんので一周忌と言えるかどうか判然としませんが、通常なら一周忌です。

大量にあったアンチ・ブログもその多くが更新が停止していたり、なくなっている状況であり、大勢の人に影響を与えたはずですが、大川さんについてコメントする人もほとんどいなくなってしまいました。

故人を偲ぶも何も、私は現実には一度も大川さん本人とお会いしたことはなく、ただ一方的に六大神通力で悟りと思想を監視されていた立場であり、夢で何度かお会いした程度です。

割と背が低いなというイメージはありましたが、最後に夢でお会いした時は、いきなり大川さんが折り紙になり、私の前で、あれよ、あれよと言う間に色々と小さく四角に折られていました。

今から思えば、この折り紙のように教団を「畳め」という諸神霊からのメッセージだったのではないかと思っています。

内部の事情はよく知りませんが、かなり酷い状況にあったのではないか。

霊能力の世界というのは色々と非常識で異常な世界を創るものです。

嘘は言っておりませんが、単なる私の妄想と捉えられても返答しようがない。

もう少し謙虚に正しき心の探究をすべきであったという感想が強いです。

1980年代後半からあった悟り不足と未熟は、最後まで修正されることはなく、むしろ拡大し、それが結局致命傷になったのです。

大川さんの著作は1991年の『永遠の仏陀』までは一冊残らず読んでいました。

霊言は除くとしても、大川さんの著作を読み始めた当初は胸の奥から大きな違和感がつき上げ、やむことはありませんでした。

当時は私も大した悟りも思想ももっていなかったため、その違和感の正体が長らく分からなかったのです。

「何かおかしいぞ、この善は」、と言う違和感が常にあり、離れなかったのです。

本能的な直観のようなものです。

「おかしい」と感じていても、大川さんは何もおかしなことは書いていないのです。

どの著作にも良いことが書かれてあるのです、少なくとも表面上は。

真理の探究が多少進んだ頃、常に大川さんに六大神通力で監視されておりましたので、試しに挑発するように言ったことがあるのです。

「あなたは本で良いことを書いているけれども、善ばかり言われても善だけではそれが本物の真理か偽物の真理かは判断できないのだ。

悪や罪について語ってご覧なさいよ。

本物の真理は、本物の悪を語れるけれども、偽物の真理は、偽物の悪しか語れないのだ。

悪や罪について語ってみなさいよ」と挑発的に言ったことがあるのです。

当時はプライバシーが全くない状態で少し頭にきていたのです。

すると題名は忘れましたが、直ぐに次の本でこう返してきたのです。

「人を傷つけること、害すること、不幸にすることを悪というのです」と怒って返してきたのです。

あの人、文句言われるとすぐ怒るのな。

ただこれで初期に感じていた違和感の正体が分かったのです。

神の心が原因であり、神の体(物質)はその結果です。

「人を傷つけること、害すること、不幸にすること」は結果(神の体)であり、原因(神の心)ではないのです。

「大川さん、初めまして、ところでいきなりあなたを傷つけていい?

初対面だけど。

初めまして大川さん、ところであなたを害していい?、全くの初対面で今日初めて会ったけど。

不幸にしていい?、初対面だけど。」

あんた、こんないきなり人さまの顔面にパイをぶつけてくるような、こんな人はいません。

「人を傷つけること、害すること、不幸にすること」は結果であり、結果には必ず原因があるのです。

原因とは、人間は神の子ですから、いつでも大宇宙です。

神の心が意味する正義か、神の体が意味する利益か、この正義か利益を棄損すれば、これを原因として結果、人は人を傷つけ、人は人を害し、人は人を不幸にしようとするのです。

正義を棄損しても人は害してきますし、利益を棄損しても人は害してきます。

「人を傷つけること、害すること、不幸にすること」は結果(神の体)なのです。

何の原因も理由もなく、人を傷つけ、害し、不幸にしようとする者はいないのです。

結果の悪を言っていたのです。

善悪は生命即物質で切れませんので、悪をそう見ていたのならば、そこから語られる善も結果に比喩した善、すなわち方便の善を説いていたのです。

有限の善です。

大救世主ともあろうお方が、菩薩のような有限の真理を説いていたのです。

これが当初感じた違和感の正体だったのです。

これは明らかに悟りの不足を示しているものです。

大救世主として地球全土の全人類を救わなければならない者が、良く言えば方便の真理、悪く言えば偽物の真理を説いていたのです。

これが違和感の正体だったのです。

人間に完全な悟りなど不可能ですので、あそこの指導霊の立場としては、大川さんに地道に正しき心の探究をさせ、指導を続けていくうちに、いずれ大如来として相応しい悟りを得るであろうと寛容に指導していたのだと推定されますが、その前に想定外のことが起こったのです。

1991年3月に慢心してしまったのです。

神の心が「天」であり、神の体が「地」で、永遠に天地一体です。

神我が「天」であり、自我は相対的なものですので「地」で、永遠に天地一体です。

宗教的な「転落」とは、「地」を「天」に置くことであり、「地」に下ることを言います。

相対的なものを絶対化し、神が永遠に「地」と定めているものを「天」に置くことを神への傲慢と言い、転落と言います。

生き神信仰とは、教祖の相対的な自我を「天」に置いた自我への信仰であり、これは明確に「慢心」であり、「退転」を意味します。

当時、あの世の高橋信次氏が、「師が死ぬと真理の山を下り始めた弟子達」と言っていたのは、この「地」を「天」に置いたお弟子さんが多かったからです。

悟りが「天」であり、霊能力が「地」で、天地一体です。

悟りが「天」であり、悟れば霊格も上がりますので霊格が「地」で、天地一体です。

悟りが「天」であり、有名な過去世が「地」で、天地一体です。

「地」を「天」に置くことを「転落」と言い、「退転」と言いますので、当時GLA系のお弟子さんは、「地」である霊能力を「天」に置き、「地」である高い霊格を「天」に置いて振りかざし、「地」である有名な過去世を「天」に置いて吹聴していたためにあの世の高橋信次氏は「山を下り始めた弟子達」と言っていたのです。

真理の山を下り始め、人恋しさからふもとの「地」に下っていったのです。

ネオン街と卓球と温泉饅頭をなつかしんで。

幸福の科学の場合、前年の1990年に既に警告は出ていたのです。

当時は書籍だけを読んでおりましたので知りませんでしたが、種村さんによれば、この年に諸神霊が霊言はもう下ろさんという霊言のボイコット事件が起きたそうです。

確かに1990年は12月に『アラーの大警告』一冊しか霊言は下りませんでした。

人間に寛容な諸神霊が一致団結して霊言は下ろさんというのは相当な慢心があったはずであり、外からは伺い知ることはできません。

思い返せば、この1990年という年が幸福の科学に下ろされた最初で最後の警告だったのです。

翌年の1991年3月には、誰でも分かる形で教祖の「慢心」が表面化します。

「正しき心」ではなく、教祖の顔写真を御本尊にしてしまったのです。

生き神信仰を始め、幸福の科学はこの年から「転落」を始めたのです。

これ以後、幸福の科学は諸神霊の霊言を出せなくなっていきます。

転落を初めてから30年以上一貫して悪化を続けたのです。

真理の山を下りるからそうなるのです。

真理の山は下りられないのです。

諸神霊も当時、真理の山に一旦入ったら、頂上に咲く一輪の悟りの花をむしり取ってくるまで下りられないと言っていたはずです。

下りれば死ぬからです。

前年の1990年には警告は既に出ていたわけですが、当時は幸福の科学がグングンと伸びていた勢いのある頃であり、調子が良かったためか反省しなかったのです。

警告に耳を傾けなかったのです。

あれだけ幸福の科学に加担していた神道系も慢心を反省させるためにフライデー事件で警告を出しますが、時既に遅しであり、それは生き神信仰を始めてから半年も経過した後だったのです。

警告を出すのが遅かったということです。

実質的に1990年が最初で最後の警告だったのです。

フライデー事件でも教祖の悟り不足と未熟は明白に出ていたのです。

大川さんが、何故あれだけオウム真理教にムキになっていたのかも悪の捉え方で理解できました。

始めは大川さん、何やってんだと思っていました。

麻原なんぞ、我々の霊域の霊でも何でもないし、霊格も過去の実績も全然違う。

釈迦ともあろうお方が、あんなばっちいカルト教祖に何をムキになっているのか。

格が下がりますよ。

放っておけばいいだけでしょう。

あなたほどの人がムキになり、関わるような人間ではない。

一体、何をやってるんだと思っていたのです。

ところが大川さんは、やたら麻原にムキになっていたのです。

内面に同じものを持っていたからムキになっていたのです。

麻原曰く、ここに大悪業を犯して大金持ちになっている人間がいるとする。

それをよく知っている人が、あの人は来世餓鬼地獄に堕ちるのだと言って、そのお金を「こっそり」と盗み、この「こっそり」というところがツボにはまるわけですが、悪いことをしているという自覚があるわけです。

大悪業を犯して大金持ちになっている人間からそのお金を「こっそり」と盗み、そのお金を世のため人のために使い、あるいは真理のために使ったとする。

これは善業であるか、悪業であるか。

麻原曰く、これは完全なる善業であると言える。

人のお金を「こっそり」と盗んでおいて麻原はこれを善業であると言っていたのです。

麻原曰く、何故ならば、その心の動きの中に相手を害そうという気持ちがないからだ。

麻原は大川さんと同様、人を害することを悪だと思っていたのです。

それは本当の悪は、相手を傷つけてやろうとか害してやろうなんて思ってませんよ。

お前を害そうなんて思ってないし、傷つけてやろうとも思ってない。

ただお前の持っている家・土地・財産、全部頂戴、根こそぎ頂戴、名古屋城の金のシャチホコも頂戴、お前のお昼の弁当も頂戴、弁当の「かまぼこ」とそっちの「卵焼き」も頂戴、もう全部頂戴。

本当の悪は、自分を無限に利そうと思っているのであり、害そうなんて思ってませんよ。

エゴイストが本当の悪です。

自分を利そうとして利益と快楽を人類単位で追っているから世界もまた腐敗しているのです。

気候変動も同じ理由です。

「人を傷つけること、害すること、不幸にすること」を悪であると認識している者は、人を害する気持ちさえもっていなければ、自己を無限に利してもいいと勘違いしておりますので、こういった教祖は無限に自己を利そうとして信者から平気で過酷に収奪したり、自己を利そうとしてテロを行ったりするのです。

これも結果を悪と見ておりますので悟り不足と未熟を示しているものです。

大川さんは、麻原と同様「人を害すること」を悪であると認識しており、同通するものがあったということであり、だから釈迦ともあろうお方が、あれだけムキになっていたということです。

「人を害すること」は悪ではないとまでは言いませんが、これはあくまで結果(物質)です。

解脱している者の悟りではないのです。

麻原はまた「力で良い世界を創る。

これがタントラヴァジラヤーナの教えだ」と狂った教えを信奉していたようですが、正義が「天」であり、力が「地」で、永遠に天地一体です。

「力」は相対的なものであり、「従性」をもった物質の属性に過ぎません。

この「力」を「天」に置いていたということは、既に転落していたということです。

相対的な自我を「天」に置いていたから、同じく相対的な物質に支配され、物質の属性である「力」を「天」に置き、タントラヴァジラヤーナを信じ、テロを行っていたのです。

力で良い世界が造られることはなく、神の心によってしか良い世界は造れないのです。

悟りのない者が力だけを持っても「気違いに刃物」になるだけです。

悟ってもいない者が力だけを欲し、テロリストになり、最後は死刑になったということです。

宗教的殺人である「ポア」についてもどこかで書いた記憶がありますが、真理を迫害し、真理に対して罪を犯させれば、その者の死後は悲惨なことになり、これ以上罪を犯させれば、地獄滞在期間も長くなる。

その真理に歯向かう罪人に対して菩薩の慈悲の心をもって、これ以上罪を犯させないために、彼の生命をトランスフォームさせてあげること。

これは法律的には単なる殺人であるが、宗教的真理から言えば、立派な「ポア」ですと言っていました。

今世、菩薩の悟りを得たければ強い心を持ちなさい、強い心をもって菩薩の慈悲心で殺してあげなさいと言っていたわけです。

こういうのを屁理屈というのです。

当時、故・立花隆氏が鋭い批判をしていました。

宗教的殺人である「ポア」が正当化されるためには、その罪人の死後が明確に見えていなければならない。

死後の悲惨な生活と地獄滞在期間の長期化が明確に見えていなければ、宗教的殺人である「ポア」は正当化できない。

罪人の地獄滞在期間の長期化を防ぎ、罪人の罪を軽くしてあげたい菩薩の心で殺人を実行するわけですから、死後の在り方が明白に見えていなければならない。

麻原は、自分は最終解脱者であるから「それが見える」と言っていたのです。

ならば麻原は、地下鉄サリン事件や坂本弁護士一家殺人事件の責任逃れはできない。

彼らの死後の生活が見えているのは麻原だけであるため、その殺人事件の責任逃れはできないのです。

にも拘らず、最終解脱者さまは、サリンは弟子が勝手に撒いたのだ、私は無罪だ、神聖法王なのだ、と責任逃ればかりしていたのです。

悟りを偽っている者は、幸福と快楽を必ずすり替えておりますので、責任を負わされることは自己にとって不快なことになるため、快楽という悪を基準に不快を避けようとして責任逃れの言動を取るのです。

釈迦ともあろうお方がこんなのにムキになっていたのです。

大川さんにもそういった責任逃れの傾向があったわけですが、これも幸福と快楽の一体性と相違が理解できていない悟り不足と未熟を示しているものです。

今回の大川さん、ちょっと修行が足らなかったんじゃねえの。

でも安らかなご冥福をお祈りしています。

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